活動を通して出会った子どもたち、共に活動してくれる仲間たち。パレスチナには多くの友人が暮らしています。
日々、空爆や攻撃のストレスにさらされ、時に大きな被害が出て、生活や活動に支障をきたします。見て見ぬふりをせず、私たちにできることを模索し行動する。現地の仲間と連絡を取り、最大限の安全に配慮した上で、緊急支援、特別支援活動を行なってきました。
4〜5年に一度、大きな空爆に見舞われるパレスチナ自治区ガザ。数日で収まることもあれば、何日も続くこともあります。時に空爆だけでなく、戦車等による地上からの攻撃が行われ、建物が壊され、多くの方が犠牲になります。
多くの友人が暮らすパレスチナ。私たちにできることを見つけ、情報を発信して、活動へとつなげていきます。
活動を通して出会った子どもたち、共に活動してくれる仲間たち。パレスチナには多くの友人が暮らしています。
日々、空爆や攻撃のストレスにさらされ、時に大きな被害が出て、生活や活動に支障をきたします。見て見ぬふりをせず、私たちにできることを模索し行動する。現地の仲間と連絡を取り、最大限の安全に配慮した上で、緊急支援、特別支援活動を行なってきました。
2008年末から空爆が始まり、年が明けても攻撃が続いていました。あまりの犠牲に心を痛め、ラファ市に暮らす盟友ダルウィーッシュと連絡を取り、緊急支援に入ることになりました。
エジプト側から検問所を抜けてラファ市へ。医師である桑山はラファ市立病院の救急救命室で患者さんの対応を手伝いました。時に爆弾が落とされる町へ向かう救急車に乗り、ケガ人や体調を崩した人の処置をします。爆弾で足を負傷し付け根から切断せざるを得なくなった人。病院まで担ぎ込まれても命を落としてしまう人。その家族の悲しみ。たくさんの人に触れました。
このときの活動の様子はパネルとして貸出ししています。
2014年夏、50日にも及ぶ攻撃を受けました。北部から始まった攻撃は次第に南下し、南の端にあるラファも大きな被害が出ました。
緊急支援として、必要物資の配布、子どもたちの保護、気分が明るくなるようなレクリエーション活動などを現地スタッフ中心に行いました。攻撃がなくなり安全が確保されたのち、プロジェクトでの心のケアへとつないでいきました。
国境近くに暮らし、心のケアプロジェクトに参加していたモハマッド。強い意志で戦争を向き合い、ガザで起きていることを外の世界に伝えたいという夢を持っていました。ケア修了後もプロジェクトに積極的に関わっていたため、高校卒業後、メディアと経営の勉強をするための学費を支援しました。通信社でのボランティア活動などを経て、現在はフロントラインのスタッフになり、映画制作ワークショップや活動紹介ビデオの制作などに尽力してくれています。
ラファ市はエジプトとの国境にあるため、ひとたび空爆が始まると被害が大きくなりがちです。心理社会的支援センターの建設が始まる頃、建設予定の建物にも被害が及び、プロジェクトの実施が困難になりました。日本で募金を募り、建物の改修や必要物資の購入に充ててもらい、活動の継続をはかりました。
大きな空爆だけでなく、ガザ地区は常に攻撃を受ける緊張状態に置かれていて、小さな衝突や爆撃音、偵察用ドローンの飛行音が日常的に聞こえてきます。生活や教育の場が被害を受けることも多く、あらゆる年代の人々の心への影響が懸念されます。
平和で、落ち着いた日常が普通にあることを願って。私たちは活動を続けていきます。