Message代表桑山からのメッセージ

MESSAGE

特定非営利活動法人
地球のステージ

桑山 紀彦

KUWAYAMA Norihiko

地球のステージの活動がきっかけとなり、
誰かが自分の人生の主人公として、
また一歩踏み出すきっかけになれば…

地球のステージのホームページに訪れてくださり、誠にありがとうございます。

せっかく生まれてきたのだから、この広い世界を見てみたいし、いろんな人と出会ってみたい。何かのきっかけでこの世を去るとき、「ああしておけばよかった」「こうしておけばよかった」という後悔にさいなまれたくない。

それは、ひょっとしたら、誰もが持っている気持ちなのではないでしょうか。

私たち「地球のステージ」も同じように考えてきました。世界の平和や地球の保全という大きな目標でなくてもいい。一人一人が持つ夢や希望のようなものが「地球のステージ」を通して、実現されるといいと願ってきました。それは、私自身も、一人の人間として願っていることだからです。大きな組織体で、大きく世界と関わるタイプの国際協力もすごいけれど、小さな組織体で、目の前の人たちと深く関わるタイプの国際協力も価値あるものだと思って進んできました。

そうして世界と関わると、そのたくましい生きざまや今の日本人が忘れてしまったような大切なことを目の前で表現してくれている途上国と呼ばれる国々の人たちのことを、この日本に伝えていかなければ彼らへの恩返しにならないと考え、コンサートステージ「地球のステージ」が始まりました。公演で伝えるお話は出会いとともに増え続け、2022年11月、のべ4000回を超え、今も続いています。

私たちは世界で活動し、それを日本に戻し、またその日本から世界と関わるという循環の中で活動を続けています。

「地球のステージ」に関わった人たちが少しでも世界に興味を持ち、知り、そして自分ができる小さなことから何かを始め、それがゆっくりと人と人をつなぐ輪になって行けば、きっと世界はいい方向に変わるに違いないと信じています。

人は考え、感じ、行動し、また考えて感じ行動していく。そのサイクルの中で「前よりもよりよくなった自分」を見つけていけたら、人はどこにいても幸せになれずはず。そんな想い持ち、これからも多くの人と関わりながら、この世界のために、そして自分のために何ができるかを共に考えていきたいと思っています。

桑山紀彦

特定非営利活動法人 地球のステージ 代表理事

心療内科医、精神科医

代表桑山の経歴

  • 行き詰まりの学生時代

    岐阜県高山市に生まれ育つ。
    小中学生時代、人と同じことがうまくできない自分にコンプレックスを感じていた。それをはねのけようと、14歳でギターとヴァイオリンを始めるがうまくならず、かえって殻に閉じこもっていく。
    高校生になり、仲間とバンド活動をするも人となじめず孤立した感が否めなかった。そんな自分を「治す」思いで一念発起し、医学部を受験。山形大学医学部に合格し、18歳で故郷を離れ、山形での暮らしが始まる。

  • 旅の中での出会いと気づき

    大学時代、バイトに明け暮れ、自転車での日本一周旅を経て、世界へと足を伸ばしていく。
    インドへ出かける途中、バンコクで知り合ったタイ人に「おまえ、なんで人と比べてばっかりなの?そのままでも十分いいやつじゃん」と言われ、立ち尽くす。いつも人と比べて自信を失っていた自分に気づき、人との接し方が変わっていく。

    医師になって4ヶ月。旅行気分で出かけたフィリピンでロエナスとその家族に出会う。小さなやりとりが、桑山の人生を大きく変えていく。

    旅をする中で、助けられてばかりだった自分。どの国で出会った人たちもやさしく、自分を受け止めてくれた。「何か恩返しができれば」と素直に思えた。その思いが、手探りでの国際協力、ボランティア活動への扉を開いていく。

  • 国際協力・医療支援への歩み

    1989年 タイ・カンボジア国境の難民キャンプで井戸掘りや技術支援を行う
    1991年 湾岸戦争後のイラクにて医療支援を行う
    1992年 和平後のカンボジアにて、病院復興支援に取り組む
    1994年 内戦下のソマリアで医療支援を行う

    試行錯誤し、悩み、失敗しながらも国際協力活動は続いていく。
    数多くの出会いと経験の中で、「ボランティアは人のためではなく、自分のためでいい」と感じ、気負いが消え、よりいっそう活動の幅を広げていく。

  • 学びを深める〜心理社会的支援との出会い

    1994年 オスロ大学附属「心理社会的難民センター」で心理社会的支援のノウハウを学ぶ
    1995年より、JENの木山啓子氏とともに、紛争下にあった旧ユーゴスラビアにて「心の傷(トラウマ)」に苦しむ人々と向き合い、「心理社会的支援」を実施。何度も現地に足を運び、長期に渡って関わり、心理社会的支援の専門家としての経験を積む。

    一方、日本国内では精神科、心療内科の医師として人々の心に接していく。就労や国際結婚で日本に来る外国人も増え、多文化間における診療や学びも増えていく。

  • NPO法人地球のステージ設立

    1996年1月15日、山形市内のライブハウスで「地球のステージ」公演の初演を迎える。
    海外での活動や出会い、人々の生きざまをわかりやすく日本の人々に伝えていくため、音楽と映像、語りを組み合わせたコンサートステージという独自のスタイルを取り、観る人の心を動かしていく。口コミで公演は広がり、県内から県外へ、首都圏へ、全国へと少しずつ広がっていく。

    2002年、特定非営利活動法人地球のステージを設立。代表理事に就任する。

  • 公演活動と支援活動に奔走

    2000年 独立紛争後の東ティモールに医療支援に入り、その後も定期的に関わっていく
    2003年 パレスチナ自治区ガザにて心のケア事業を開始
    2004年 イラン南東部地震の救援で、心のケアを行う
    2005年 スマトラ沖地震による津波被害を受けたスリランカにて心のケアを行う
    2006年 ジャワ島中部大震災の救援活動で、医療支援、心のケアを行う同年、パキスタン北部地震の救援活動で、医療支援、心のケアを行う
    2008年 ヨルダンにて、イラク難民に対しての心のケアを行う
    2009年 ガザ紛争時、空爆下のラファ市にて緊急医療支援を実施。その後、心のケアを行う

    毎年起こる災害。止むことのない紛争。日々の診療の合間を縫って現地に駆けつけ、できることを行なっていく。心理社会的支援のプログラム内容がかたまり、NICCOのスーパーバイザーとして、長期に渡る支援に携わることが増えていく。

    海外での活動と並行して、総合的学習の時間や世界が身近になってきたことも相まって、学校現場を中心に公演活動が増えていく。語り伝えていくことの意味を強く感じていく。

  • 東日本大震災を機に、日本における心のケアも

    2009年 宮城県名取市に「東北国際クリニック」を開設し、院長に就任。

    2011年3月11日、東日本大震災にて被災する。
    幸い、病院の建物は残り、スタッフも無事だったため、緊急医療支援を開始。全国から応援が集まり、震災翌日から2ヶ月間、24時間体制で被災者の診療にあたる。 同年6月から名取市内の小中学生を対象に心のケアを実施。3年近くかけて全プログラムに取り組み、トラウマ予防に努める。また、閖上中学校遺族会の立ち上げにも関わり、2012年4月、津波復興祈念資料館「閖上の記憶」を設立。心のケアとして語ることの大切さを伝え、多くの語り部や案内ガイドが誕生に寄与する。

    2016年 神奈川県海老名市に「海老名こころのクリニック」を開設し、院長に就任。
    熊本地震で大きな被害を受けた熊本県南阿蘇村に入り医療支援、心のケアに携わる。

  • 現地の声を聞き、ニーズに応える

    年に数回の出張ベースで関わってきた東ティモール、パレスチナ事業。現地の声やニーズに応えるためにも、事務所、スタッフを現地に置き、独自の活動を行なっていく方向へと進んでいく。

    東ティモールは2008年から医療が行き届かない山間地で巡回診療を始め、2014年からは本格的に妊産婦保健事業を展開していく。バイロピテ診療所のダン先生の生き方に大きな感銘を受ける。 パレスチナは2014年からN連事業として心理社会的支援プロジェクトを展開し、ガザ地区ラファ市に心理社会的支援センターを設立する。2018年〜2020年はヨルダン川西岸地区でも同プログラムを行う。
    2016年よりミャンマー中部シャン州のパオ族の村の子どもたちへの教育支援を実施。 いずれも現地の声を聞き、必要な支援を相談し、人材育成にも努めながら活動を展開している。

    その間にも、NICCOが行うイラクやシリアからの難民への心のケア、SPJが行う南スーダン難民への心のケアのスーパーバイザーとして関わり、心理社会的支援を広めている。 2021年からはJPFの心理社会的支援に関わる案件の審査委員も務めている。

  • 現職とこれから

    現在の肩書は心療内科医、精神科医。
    専門分野は心理社会的支援、トラウマ精神医学、多文化間精神医学、難民心理学、精神薬理学。

    日々、小中高校生を対象とした児童思春期専門の心療内科外来を行う一方、心理社会的支援や医療の専門性を生かして、国際協力活動、地球のステージ公演活動に励む。
    5年後、10年後も元気に、現地に寄り添いながら、より精力的に活動を続けているだろう。

人と関わり、人を支える
支援活動の実施にご協力ください。

みなさまからの寄付や物資支援、協働といった応援によって、
現地の人の未来を長期にわたってより良くする海外支援を
より多くの人に届けることができます。